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Agroecologyを勉強中!!

Agroecologyをキーワードに、トビタテ留学でカリフォルニア州で農業インターンしたり、キューバに渡航したり。生態学をフル活用した農園を作って、自給自足したい!生態系のごとく厳しく複雑な今日の農業ビジネス界で、理想を実現しながら、しぶとく生き残るためにニッチを模索中。

極度に一般化された仮説が、具体的な個々の事実に関する理解を歪める危険

前回のblogでは、歯切れが良いタイトルを付けたくて、「メキシコ人男性にとって下ネタ・女性話は大事な、あいさつ」なんて書いてしまったけれど、メキシコ人男性といっても、約6千万人近くいて、中には、下ネタが苦手で、それを不快に思う人もいると思う。約6千万人全員について、「下ネタがあいさつだ」なんてことは、まず言えないと思う。自分は、その全体の中の、ほんの一部を見ただけで、まるで全て見たかのようにblogを書いてしまった。

tobitate-sanfrancisco-cuba.hatenablog.com

そのことについてまず反省している。

さらに、それを公開することによって、読者にも自分と同じような理解の仕方を提供し、事実をより正確に理解するのを妨げてしまったかもしれない。

そのことについても反省している。

具体的な個々の事実・事象を体験して、一般化・抽象化し、それを頭の片隅に「仮説」として記憶し、別の具体的な事実・事象を体験する際に、その知識を用いて理解するという一連の、世の中の物事の認識の仕方と、

それを例えばblogなどで共有するということについて考えたことを披露したい。

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考える人

 

 

【一般化って、めちゃくちゃ便利】

 

まず、そもそも「一般化」した仮説が使われるのは、とても便利だからだ。
精密な数字にこだわり厳密なことを言おうとするのは意味のあることだけど、現実世界で生きる際に最良な方法かどうかは疑問だ。学問・研究の世界と現実世界での物事の考え方は、多少異なるのが、合理的だったりするんだと思う。出来るだけシンプルで便利な方法で世の中の事象を認識したくなるのは、仕方ないこと。

でも、複雑で多様な世界を「えいやっ」と雑に切って理解しやすく整理しようと思っても、そんな切り口を見つけることはとても難しい。世界は思ったより複雑で、多様で、たいてい、一般化しても、反例がゴロゴロ出てくると思う。

前回のblogでは「メキシコ人男性」というグループ化を行い、「このグループに属していれば、”一般的に”こういうことが言える」という「一般化」を行ってしまったけれど、よく考えたら、自分の友達のメキシコ人男性の中にも、その一般化の反例となるような人もいて、すぐに仮説は否定できた。

でも、たぶん、この手の「一般化」は気付かずに、ほとんど全ての人が使っていると思う。
日本人は○○だ。
最近の日本の大学生は○○だ。
トビタテ生なら、○○だ。
鳥取に住んでいるなら、○○だ。
挙げればきりがない。

そして、質の悪い場合は、そのような自分の中の勝手な「一般化」した仮説を、他人に押し付けようとする(帰納的に結論づけちゃう)。
鳥取にいるなら、すなば珈琲に行った?」とか。(スタバの方が好きなんだけど。)

(アメリカに来てから、約30回スタバに行くほど、ヘビーユーザーなので、上のようなお洒落なカードを購入しちゃったり。)


良いネタになって、気軽に会話を楽しむためになら、別に問題のないことだと思う。
でもよく考えると、たいてい反例はたくさんあって、人の場合なら、迷惑をかけられたり、思慮深くない人に傷付けられたりするという問題(人種差別とか)も出てきたりする。
ただ、偶然に上手くいく場合もあるから、何とも言えない。
ただこの場合には、自分の行動・考えを正当化したいために、具体的な事象の中で、一般的知識の押し付けが上手くいった事例にだけ目がいき、都合よく解釈するというカラクリも働いているかもしれない。

ちなみに言えば、多様な人々が一緒に暮らしているアメリカという社会で起こっている人種の問題にも、この手の極度な「一般化」が根源にあるように思えてしまう。

 

【極度な一般化に惑わされたくない!】


じゃあ、極度に一般化した仮説に惑わされないようにするためには、どうすればいいのかを考えたい。

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Yosemiteの景色

・森羅万象・無為自然だから、もう悟っちゃえば?


大前提として、万物は森羅万象で、世の中のものは常に変化し続けるし、1人の心だって無常だ。さらに、もの・人は、それを認識する人によって意味付けは変わってくる。
「世の中の移り変わるものに、意味付けをしようとすることは不可能で無意味であり、この世は「無」なのです。」みたいな悟りも1つの方法かもしれない。まったく、そう考える方が、心は穏やかでいられる気がする。世の中は複雑で多様で、無常だから、全てのものは、全てそのままにしておけばいいのです。無為自然なんです(by老子)。なんてね。

僕も無為自然な考えをするのが理想だけど、そうもいかない理屈を人はあれこれと見つけたがるもの。

 

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Natural Historyは仮説の塊。タイムマシーンが無い限り、直接経験できないんだから。化石はそっとしておけばいいじゃんなんてね。

・「一般化」も悪くはないんじゃない?

 

世の中の事象を理解するために、「一般化」した仮説が全くの無意味なものかと言えば、そうでもないと思う。
なぜなら、似たような事象は何度も起こり、体験済みの似た事象に未来で遭遇する可能性があるから

自分が体験したことを、少し一般化・抽象化しておけば、その体験に似たような事象・問題に未来で遭遇するときに、頭の隅から、それを引き出してきて少し合うように変形させて、考えのベースとし、上手い解法を効率よく導き出すことが出来るかもしれない。学習って言われるものだと思う。
自分が直接体験できることは、時間的に、空間的に、限られている。だから、自分が直接体験したものを抽象化したり、他人が直接経験したものを抽象化させたものを、頭の片隅に入れておけば、未知なる事象・問題(厳密にいえば、0.01秒後は、誰にとっても常に未知で、これまでの宇宙56億年の中のどの瞬間とも異なる瞬間。)に遭遇するときに、とても便利だ。

 

・一般化した仮説の出入りのバランス

 

ただし!頭の中に、一般化した仮説を詰め込んでおけば、それでいいのかというと、そうでもないと思う。それは、ただの頭でっかち
もちろん、だらだらと体験してばかりで、一般化した仮説を頭に入れなければ何も残らない。経験済みの類似の事象に対しても、遭遇するたびに、解法を0から考えることになるから、能率が悪い

 

・仮説を使いこなすには?

 

大事なのは、体験したものを抽象化するという作業を自分で行うということ。そして、抽象化したものを頭から引き出してきて柔軟に変形させて具体化するという作業を自分で行うということ。つまり、具体的事象を一般化して理解してインプットすることと、一般化したものを具体的事象にあてはめるアウトプットを自分で行う機会を持つことが必要なんだと思う。自分でそういう作業をした後なら、一般化・抽象化される際の、具体的な事象からの精製度(どれくらい、事実がそがれて、シンプルな構造にしたか)や、シンプルにした自分の仮説をどのように、「変形」させて具体的な事象に合わせていけばいいのかなどが分かり、仮説の使い方が分かってくると思う。
「留学」を含めて、実践的な学びは、そのためにあると理解している。

そういうことを頭に入れた上でなら、一般化した仮説を用いてもより正確な認識の仕方ができるのだと思う。
別の言い方をすれば、適切な仮説を適切に使いこなすことができるということだと思う。

 

www.tobitate.mext.go.jp  

実践的な活動を伴うところがトビタテの素敵なところだと思う。

 

【blogを鵜呑みにしないで!】

 

だから、過去の僕が体験したことを抽象化してblogに書いたことは、未来の僕や、blogの読者が、未来で似たような事象に遭遇した際に、その事象を理解する方法の一つになるかもしれないという捉え方をしてもらいたい。メキシコについての文学や歴史を深く学んだこともない僕の個人的な見解を鵜呑みにするのは、ありがたいけれど、あえて言わせてもらえば僕のことを信頼し過ぎだと思うから。

もし、精度の高い一般化を行いたければ、事象の条件を絞りに絞ったり、統計を駆使したり、全く同じなんてことは不可能だけれども、出来るだけ同じに近い別の事象にあてはめて、同じことが言えるかどうかを検証したりすることが必要になってくる。こうして得られる、真理により近い仮説が科学的理論とかって呼ばれたりする。それが必要な時には、精度の高い一般化が行われた仮説を探して使えばいい。これは論文とblogの大きな違いで、僕はblogに、精度の低い一般化で得られた仮説を披露しているにすぎないということ。でも、できるだけ事実に近いことを書きたいと思ってるから、そこだけは大丈夫!